産前産後うつ、モラハラから仲良し夫婦へ

喧嘩ばかりで「夫がおかしい!離婚したい!」と被害者意識満載だった私が、心理学を学んで現実が変わりました。同じように苦しむ方の参考になると嬉しいです

子ども⑧育休中の育児

帝王切開で出産後、1週間ほどして自宅へ戻りました。

実の両親(隣県在住)はお世話に来てくれないものの、幸い夫はお盆休みで家にいる事が多い期間&出産前に夫の実家から車で5分の場所に引っ越していたので、産後1ヶ月は、義父母が毎日のように来てくれて、サポートをしてくれました。

 

※今思えば、両方の実家が頼れずワンオペで育てる人に比べれば、まだ恵まれていたと思います。しかし、

「やってくれて当たり前!(夫に対し)もっと感謝してよ!気を遣ってよ!」

という思いが強く、また手術後の痛みや育児ストレスもあり、義父母に対しても適当な態度で接してしまいました。

 

夫は昔から安全意識が人よりかなり高く、

・飲酒していないのに、飲酒運転をしてしまうかもしれないという不安にかられ、アルコール検知器を購入

・仕事(製造業)で他人にケガをさせるリスクがあった際、その事を数日間引きずってしまう(その事で頭がいっぱいになってしまうので、周囲の人は迷惑する)

など、極端さは私も知っていました。

 

それに加え、当時は自分の娘が生まれた事で、リスク管理への敏感さが相当上がっていました。

ある日の夜、私がベビーベッドの柵を上げずにそのまま眠ってしまったのを夫に叱られ、すごく傷つきました。(言い方がひどい!なんで産後すぐの妻を労えないの?)

また別の日、夫が娘を寝かしつけながら自分も寝てしまい、一緒のベッドで短時間寝ている事がありました。夫が後でその事実を知り

「俺が娘を押しつぶしていたかもしれない・・」

と思い詰め、政府が発表している「子どもの事故死データ」をもっと具体的に知りたい!と、1週間ほど、そればかりに気を取られている時期もあり、私も正直ウンザリしていました。

 

またお盆中のある日は、私が40度近い高熱で苦しんでいるのに夫は何もしてくれませんでした。あまりにしんどいので義母に頼んで車を出してもらい、病院へ行くと乳腺炎による発熱でした。この時の事も、私はしばらく恨んでいました(仕事が休みで家にいるくせに、何て役立たずな男!信じられない。人としてオカシイ)。

 

当時は母乳の出が良く、搾乳器で頻繁に搾乳しないと胸も張ってくるし、洋服にも母乳がしみてしまう。子どもは首が座っていないし自分で何もできない、周囲に何もないか常に気を付けないといけない(窒息する危険があるため)。何より、1人で自由に外出できない!!とにかく、日々ストレスでした。

子ども⑦帝王切開で出産

2019年夏、帝王切開で娘を出産しました。

私の場合、娘の頭が大きく骨盤を通れなかったようなので、予定帝王切開を選択して正解でした。

 

※「育児したくない!陣痛は嫌!!」という思考が現実化したのだと思います。

 

<予定帝王切開の個人的メリット>

・予測不可能な時に始まる陣痛を経験しなくて済んだ

・一度帝王切開をしている人は、次も帝王切開で出産するらしいので、陣痛を経験しない人生でいられそう

・夫が事前に有休を申請し、手術室で誕生の瞬間に立ち会えた。写真や動画も残せた

・通常のお産より長い8日程度入院し、夏のくそ暑い時期を病院で過ごせた

※お腹の切り方も縦と横で選ばせてもらえました。目立たないのは横だと言われ、横切りにしました。産後2年経った今では全く傷跡も分からなくなり、現代医療の素晴らしさを実感しています。そもそも、帝王切開という技術がなかった時代なら、母子ともに危険な状態になっていたかもしれません。医療技術の発展したこの時代、しかも皆保険制度のある日本に生まれた事は、何より恵まれていると感じます。

 

帝王切開のデメリット>

・通常分娩より医療費がかさんだ

・会陰へのダメージはゼロだが、下腹部を切開するので、痛みが強い

・切開手術も初めての経験なのに、新生児の世話も日を置かずに始まり、しんどい

 

「妊娠中は楽しみに思えなくても、生まれてきた子どもを見れば愛情が湧くよー」というネット情報を結構見ていたので、私もそれを期待していました。しかし、生まれてすぐの娘は正直、全然可愛いとは思えませんでした(自分に似ておらず、サルみたい)。手術跡が痛いし足はむくむ中でも授乳指導があり、うまくいかない事にイライラしました(上手に飲めるようになるまでには結構時間がかかるのだと思いますが、私はせっかちで待てませんでした)。夫や看護師さんの(今思えば、普通の)言葉にいちいち傷ついていました。

 

暑い中、同僚たちが産院まで子どもを見に来てくれて、今思えば有難い事でした。しかし、当時は彼女たちの前では頑張って笑顔で対応したものの、娘と二人になるとポジティブな感情は湧いてきませんでした。

 

※里帰り出産する人が多い中、私や私の姉は、(母の要望で)里帰りせずに出産しました。おそらく「里帰りされても面倒が見られない」からであり、里帰りしないメリットもあるのは確かです(途中で病院を変えなくてよい、実家と自宅の両方に育児グッズを置かなくてよい、夫の当事者意識が育ちやすい)。

 

しかし、私は「友人や同僚は里帰り出産しているのに、なぜ私は楽できないんだ!親は私の事が大切じゃないんでしょ!」と被害者意識でいっぱいでした。それもあり、出産や育児に対して前向きになれませんでした。

 

 

 

子ども⑥なかなか生まれない

妊娠中の体重増加やマイナートラブルで相当嫌な思いをした私。そもそも、出産に対しても「女は損!!」という思いしかありませんでした。

 

・令和になっても陣痛が来るって何?会陰が割けるって何?もっと研究して、画期的な出産方法を見つけろよ!

・てか、10か月も私一人が食べ物や薬の制限されて不利益を被りまくって、転ばないように常に気が抜けないなんて、不公平すぎる。出産でも死ぬかもしれないし、子どものために命をかけるなんてとんでもない

・男はリスクなしで自分の子どもを手に入れられるのが許せん。もっと気を使え!感謝しろ!10か月育ててやった分、その後は男が世話しろ!

 

妊娠中は上記のような負の感情が日々出てきました。

「お腹が重いししんどいから、早く出てきてほしい」

「でも、生まれたら死なせずに世話する自信がない」

という思いで板挟みになり、身動きが取れなくなっていました。

 

おそらくそういった思考の影響もあり、予定日を過ぎても全く生まれる気配はありませんでした。予定日を1週間過ぎた頃、検診で医師に

「だんだん羊水の質が落ちてくるので、そろそろ産まないといけません。最初から帝王切開するか、経膣分娩したいなら陣痛促進剤を打つこともできます。でも、促進剤を打って陣痛が来ても生まれず、結局帝王切開になる人もいます」

と言われました。

私は

「陣痛が来ても生まれずに帝王切開になるって、痛いだけで損じゃん・・。何時間続くか分からんし・・帝王切開なら夫も仕事を休んで立ち会えるし、そうしよう。荷物も、あらかじめ夫と産院へ持って行けるし!」

と判断し、急遽、翌日に帝王切開で産む事が決まりました。

子ども⑤妊娠後期

3月に担任した生徒が卒業し、肩の荷が下りました。

6月から産休だったため、4月からは10年ぶりに(担任ではなく)副担任になれました。

 

※「思考は現実化する」という心理学で習った原則から考えると、妊娠は私にとって

「子どもでいられなくなる」「体調不良や生活の制限といった不利益が大いにある」

「後戻りできない」「夫と別れられない」などのデメリットがあったものの、

 

それを上回るメリット

「(見た目で分かるため)自分から何もせずとも注目してもらえる」「夫に恩を売る」「弱者でいられる(今まで長時間働いて人より成果出してるんだし、楽させてよ!←あくまで主観)」「担任を外してもらえる」

があったため、スピーディーに現実化したように思います。

 

不妊治療に通っていたクリニックでは妊婦健診を初期しか行っていなかったため、紹介状を書いてもらい、途中からは他の病院へ通っていました。

 

2つの病院合わせて30回以上は通ったと思います。どちらも男性医師で、当時の私はどちらも苦手でした。

 

不妊治療の際、流れを間違えないよう下を向いて先生の説明を手帳にメモしていたら、ちゃんと聞いてるのか?という感じで医師が不機嫌になった(いやいや、真面目に書いてるやろ!と非常に傷ついたが、夫は彼の気持ちも分かるという感じで、それも腹が立った)

・妊婦健診の際、体重が短期間に増えてしまい、キツイ事を言われて涙が出た。

 

私の当事者意識&責任感の無さがバレバレだったからこそ、必要以上に厳しくされた気になったのかもしれません。後半通っていた病院の医師からは

 

「毎日3時間歩いて。それくらい普通。妊婦はアスリートと同じだから」

 

と言われ、私も最初は真面目に歩こうとしました。

 

しかし私の産休期間は6月~7月の暑い時期で、10キロ以上重くなった体で、体調もよくない中、毎日3時間歩くのは相当難しかったです。

夫からも

 

「医師の言った通りにしようとしてるのは、あなたくらいだよ。他の人は、絶対そんなに頑張ってないって!」

 

と言われ、

 

「だって専門家がそう言ったのに!どうすればいいの!太りたくない!でも常にしんどいからストレスで食べたい!でも食べても全然幸せを感じない!胎児のせいだ!腹の中にいられるのも嫌だけど、出てこられても嫌!ていうか、いつ陣痛が来るか分からんって何?私を1年近く苦しめたあげく生まれてからも自由を奪うとは、マジで許せん」

 

と、(書いてから自分で読んでもヤバイ奴ですが)何をしても、どっちに転んでも私は不幸!損してる!というドン底のメンタルでした。

 

 

 

子ども④新婚旅行

安定期に入ったので、3月の週末を利用し、沖縄へ2泊3日の旅行をしました。

 

その旅行を申し込んだのは当時住んでいた家の近くのイオン。あの頃の私は体調不良で被害者意識満載=それを投影した夫も機嫌の波が大きく、気が休まりませんでした。旅行者のカウンターで沖縄旅行の申し込みをしたのですが、夫の態度が悪く「ああ、この人といると私まで恥をかく!!」という思いをしました。

 

※この思いは、結婚指輪を買いに行った時も同じでした。結構多くの店を下見して最終的にメジャーなブランドで購入したのですが、多くの幸せそうなカップルが楽しそうに指輪を選ぶ中、夫は店内のソファで居眠り。当時の私は「はあー?アリエナイ!一生に一度の大事な選択だろうが!一緒に選べよ!」と内心激怒していました。

 

しかし、今思えば、夫も色んな店に付いてきて一緒に見てくれたし、意見も言ってくれていました。新しい勤務地で慣れない仕事をしている中、貴重な休日の時間を使ってくれていたのも確かです。また、当時は私の指輪を(誕生日プレゼントとして)買ってもらう予定で、私が彼の指輪を買うという気持ちは全くありませんでした。そういった

 

「私が得して当然!損したくない!二人でお揃いの物が欲しいんじゃなく、私が他の人に見られても恥ずかしくない、それなりの指輪が欲しい!買えよ!」

 

というクレクレ精神が伝わったのも一因かもしれません。

 

※結局、フォトウェディングの前日に突然夫が「俺も指輪欲しい」と言い出し、私はしぶしぶ同じブランドのリングを夫へ買いました。私が買ってもらった指輪の4分の1の値段でしたが、それでも相当抵抗がありました。貯金のない夫が私にブランドの指輪を買う(しかも、当時は同棲を始めて3か月程度でトラブルも多く、結婚するかも微妙な時期)のは、かなり勇気がいったと思います。

 

新婚旅行に話を戻します。一生に一度なので、高級ホテルに2泊しました。私たちは両親の意向で結婚式をしていないため、その分の浮いたお金を旅行とフォトウェディング、指輪に使ったのは賢い方法だったと思います。

 

私はペーパードライバーで運転が下手なため、現地ではレンタカーの運転はすべて夫。幸い私の体調は安定していましたが、被害者意識が強かったため、夫の言動に一喜一憂する旅で、あまり楽しめなかったという記憶があります。

 

ここまで書いてきて「とにかく、私は文句言いなんだな・・」という事を再認識しました。相手がやってくれている事は当然!と軽くスルーし、私の期待に添わない事が起こると不機嫌を露わにする。納得できないとしつこく食い下がって「傷ついた!」と泣いたり「間違ってる!」と見下したり・・。長い間、誰一人得をしない世界に住んでいました。

 

改めて、今与えられている事に注目する癖を付けたいです。

 

<すでに与えられている事>

・夫のおかげで、欲しい指輪(人とかぶらない、似合うデザイン、妥協してない)を買ってもらえた

・義父母は、フォトウェディングにも来てくれて、仲良くしてくれている

・夫の安全運転のおかげで、沖縄旅行も無事帰ってこられた

子ども④新婚旅行

安定期に入ったので、3月の週末を利用し、沖縄へ2泊3日の旅行をしました。

 

その旅行を申し込んだのは当時住んでいた家の近くのイオン。あの頃の私は体調不良で被害者意識満載=それを投影した夫も機嫌の波が大きく、気が休まりませんでした。旅行者のカウンターで沖縄旅行の申し込みをしたのですが、夫の態度が悪く「ああ、この人といると私まで恥をかく!!」という思いをしました。

 

※この思いは、結婚指輪を買いに行った時も同じでした。結構多くの店を下見して最終的にメジャーなブランドで購入したのですが、多くの幸せそうなカップルが楽しそうに指輪を選ぶ中、夫は店内のソファで居眠り。当時の私は「はあー?アリエナイ!一生に一度の大事な選択だろうが!一緒に選べよ!」と内心激怒していました。

 

しかし、今思えば、夫も色んな店に付いてきて一緒に見てくれたし、意見も言ってくれていました。新しい勤務地で慣れない仕事をしている中、貴重な休日の時間を使ってくれていたのも確かです。また、当時は私の指輪を(誕生日プレゼントとして)買ってもらう予定で、私が彼の指輪を買うという気持ちは全くありませんでした。そういった

 

「私が得して当然!損したくない!二人でお揃いの物が欲しいんじゃなく、私が他の人に見られても恥ずかしくない、それなりの指輪が欲しい!買えよ!」

 

というクレクレ精神が伝わったのも一因かもしれません。

 

※結局、フォトウェディングの前日に突然夫が「俺も指輪欲しい」と言い出し、私はしぶしぶ同じブランドのリングを夫へ買いました。私が買ってもらった指輪の4分の1の値段でしたが、それでも相当抵抗がありました。貯金のない夫が私にブランドの指輪を買う(しかも、当時は同棲を始めて3か月程度でトラブルも多く、結婚するかも微妙な時期)のは、かなり勇気がいったと思います。

 

新婚旅行に話を戻します。一生に一度なので、高級ホテルに2泊しました。私たちは両親の意向で結婚式をしていないため、その分の浮いたお金を旅行とフォトウェディング、指輪に使ったのは賢い方法だったと思います。

 

私はペーパードライバーで運転が下手なため、現地ではレンタカーの運転はすべて夫。幸い私の体調は安定していましたが、被害者意識が強かったため、夫の言動に一喜一憂する旅で、あまり楽しめなかったという記憶があります。

 

ここまで書いてきて「とにかく、私は文句言いなんだな・・」という事を再認識しました。相手がやってくれている事は当然!と軽くスルーし、私の期待に添わない事が起こると不機嫌を露わにする。納得できないとしつこく食い下がって「傷ついた!」と泣いたり「間違ってる!」と見下したり・・。長い間、誰一人得をしない世界に住んでいました。

 

改めて、今与えられている事に注目する癖を付けたいです。

 

<すでに与えられている事>

・夫のおかげで、欲しい指輪(人とかぶらない、似合うデザイン、妥協してない)を買ってもらえた

・義父母は、フォトウェディングにも来てくれて、仲良くしてくれている

・夫の安全運転のおかげで、沖縄旅行も無事帰ってこられた

子ども③妊娠中

2018年10月、不妊治療(クロミッド+タイミング法)で運よく1回で妊娠できた私。

妊娠が予想外に早かった&夫(当時は彼氏)と同棲して以降は揉め事が多かったので、後戻りできない現実に恐怖を感じました。

 

「喧嘩の絶えない夫と、子どもを上手に育てていく自信がない」

「私を大切にしてくれない夫の子どもを、なぜ私が10か月も培養しないといけないんだ」

「どんな子どもが生まれるか分からない。怖い。ハンデがあって私が仕事を続けられなかったらおしまいだ」

 

※相変わらず「悲劇のヒロインになって注目されたい!」という潜在意識のせいで、そのような幸せになれない方向へ思考が突っ走り、嫌な現実を創っていました。

 

当時は7月と9月に祖父母を相次いで亡くした事や、仕事のストレスも重なった事で、体調は最悪でした。

 

顔に広範囲の吹き出物が出る、まつ毛が抜ける、肌の乾燥が悪化しヒートテックが着られなくなるなど初めての症状が続出。常に体がむくんでいる気がするし声も出づらい、気持ち悪い、そのストレスから気を紛らわせるためについ飲食してしまい、自己嫌悪・・。インスタなどで幸せそうな妊婦の投稿を見ては自分と比べ、いちいち嘆いていました。

 

※年明けにフォトウェディングのみ実施したのですが、肌荒れや体重増加で思うような写真が撮れず、正直、胎児を恨みました。また、義父母は撮影に参加してくれたものの両親は不参加で、「いやいや、普通、母だけでも来るでしょ。やっぱり、うちの親はオカシイ!私のために動いてくれない!私かわいそう!」という思いを強化させていた時期でした。

 

そうやって常に不機嫌で悲観的な私に疲れたのか、夫の態度も冷たいと感じていました。毎朝地下鉄まで一緒に歩いて通勤していましたが、ある日私は体調が悪く、出かける前もグッタリしていました。しかし夫は心配もせず「早くして」と言い放ち、私より前をスタスタ歩いて行きます。

 

当時は

「嘘でしょ?あんたが子どもを欲しいって言ったから、私は協力したんじゃん。あんたと子どものせいでこんなに苦しいのに、なんで思いやりを持てないの?やっぱりこいつは普通じゃない。発達障害なんだ・・見抜けなかった私は馬鹿だ」

と、とにかく

「夫が悪い!私は正しい!具合が悪いんだから仕方ないだろ!気を使えよ!!」という思いでいっぱいでした。

 

しかし、私が逆の立場なら、常に自分を見下してきて、不機嫌で、気分の波が大きい人に対し、いつまでも優しく対応はできないでしょう。また、当時は夫も同棲による環境の変化に加え、仕事上のストレスもかなり強い時期でした(彼曰く、癖のある上司から嫌われ、勤務地を遠い工場へ変更された?)。

 

私も環境の激変や家族の不幸が続いてとても辛かったのは事実ですが、夫も同じく、しんどい思いを抱えながら日々何とか生活していたのだと思います。