産前産後うつ、モラハラから仲良し夫婦へ

喧嘩ばかりで「夫がおかしい!離婚したい!」と被害者意識満載だった私が、心理学を学んで現実が変わりました。同じように苦しむ方の参考になると嬉しいです

子ども②不妊治療

前回書いたように、20代後半から無排卵になり、

「これは仕事のストレスのせいだ(←私頑張ってる!可哀想!という被害者意識。でも、実際ストレスを作り出している原因は自分のパラダイム)」

「自分の婚活市場価値が下がったのではないか(←実際は、無排卵なら親になる事はあり得ない=いつまでも子どもでいられる、責任取らなくていいというメリットがあった)」

などとモヤモヤしていました。その中で今の夫と出会い、彼にも無排卵である事を告げました。彼は以前から「自分の(血のつながった)子どもが欲しい!」という気持ちが強く、それなのに4歳上&妊娠できるか怪しい私との結婚を決めたので、そこはすごい事だなと(今となっては)思います。

 

結婚前に同棲を始めたのが7月で、「年齢的にも早く妊活をした方がいいだろう」という意見が一致し、秋から近所のクリニックへ通い始めました。

 

男性は、自分側の検査に消極的な人も多いようですが、夫は自分から検査を希望し、問題ないという結果を得ました(子どもという明確な目標があると素早く行動できるのは彼の長所)。

 

私も基礎体温を毎日付けつつ、無排卵の人に処方される薬(クロミッド)を服用→病院で卵巣のエコーをしてもらい、排卵日を予測→指定された日にタイミングを取るという方法で不妊治療を行い、なんと1回目で妊娠する事ができました。

 

※本来ならとても喜ばしい事ですが、私自身は正直「子どもが欲しい!」という強い気持ちもなく、「彼が欲しがるから」という受け身な気持ちだったので、戸惑いや不安に襲われました(職場の先輩女性から「30歳超えたら、そうそう妊娠しないよー」と言われており、全く期待していなかったというのも大きかったです)。

 

予想外に早く妊娠した事でメリット(お金があまりかからなかった、通院に取られる時間やストレスも少なくて済んだ、産休に入るタイミングが仕事上ちょうど良かった)も沢山あったのに、

 

・こんなつもりじゃなかった

・体調不良でしんどい、夫や子どものせいだ

という被害者意識が炸裂し、そのせいでどんどん悪循環にはまっていきました。

 

「自分がいかに恵まれているか(現代医療の力を借りなければ、私はおそらく妊娠できなかった。徒歩圏内にクリニックがあった。など)」という事をすぐに忘れ、「不満な所」「足りない所」ばかりフォーカスする癖がついていると、一生不幸なままなんだな・・と、(今振り返ると)恐ろしいです。

 

 

子ども①私の結婚・出産観

そもそも、私は昔から結婚や出産に当事者意識を持てませんでした。父はバツイチで母と再婚し、夜中に父の怒鳴り声がする事もしばしば(そんな父に憤りを感じていました)。

 

また、母方の祖母は祖父を見下しているように見えたので、祖母に気を遣って祖父への態度を冷たくし続けてしまいました(これは、祖父亡き今も後悔しています。祖父は太平洋戦争で沖縄戦から生還し、定年後も様々な仕事をしつつ、多趣味で好奇心旺盛な人でした。私さえ素直に尊敬していれば、沢山の事を学べたはず。祖父から小遣いやお菓子は受け取りつつ素っ気ない態度を取る事にストレスを感じていた癖に、途中で態度を改める事がどうしてもできませんでした。今後は、プライドなど気にせず、自分から変わると決めます)。

 

そして親戚でも、結婚する人が大多数の時代に独身を通した女性や、授かり婚の珍しい時期に授かり婚をし、1年も経たぬうちに離婚して実家へ戻った女性がおり、幸せな結婚というイメージを抱けませんでした。

 

※環境のせいにしていますが、自分が結婚相手として誰かに選ばれる自信がなく、また少女漫画の影響で恋愛・結婚への理想が高すぎたため、「結婚したい!と思いながら生きてできなかったら立ち直れない。だったら、最初から希望しなければ傷つかない」という論理で、無意識に「結婚・出産にネガティブなイメージを持つこと」を選択していたのだと思います。

 

また、小6の時親戚に赤ちゃんが生まれ、会いに行ったのですが、その際赤ちゃんに大泣きされ、とてもショックを受けました。その経験から子どもが苦手!扱いが分からない!というイメージが刷り込まれ、さらにニュースの影響で「子どもを持っても虐待しちゃったり鬱になったり、いじめや不登校家庭内暴力など、リスクの方が大きいじゃん!お金も時間も労力も奪われて、親は損するだけ!」という思いを年々強化していきました。

 

※私自身が成人してもまだまだ精神的にお子ちゃまであり、「ずっと子どもでいたい」という強烈な潜在意識のせいで、そういうネガティブ情報ばかりをキャッチし、「自分は正しい!子持ちは損!」という方向へ突っ走っていたと思います。

 

就職して数年後、生理がものすごく不安定になったので婦人科へ行くと、「多嚢胞性卵巣症候群」と診断され、無排卵だと言われました。当時は職場でも出産する同僚が増えてきた中「ああ、自分は子どもが持てないかもしれない。結婚できないんじゃないかな」と悲劇のヒロインチックな気分になった事を覚えています。

 

※心理学の先生によると、婦人科系疾患=女性性を否定している人=母親は損!と思い込んでいる人に多いそうです。また無排卵=親になれない=子どもでいたい!という私の強い思いが現れていると指摘され、驚きました(無排卵の方がメリットがあるという事)。

 

 

夫⑤同棲してから

私たちは同棲するための物件を探し、7月に引っ越しをしました。

 

しかし引っ越し当日、地元で高齢者施設に入っていた祖母が急逝。予想していなかった私は、母からのLINEを見て大きなショックを受けました。

 

※90代後半だったのでおそらく老衰ですが、私は「いつまでも子どもでいたい!何でも許してくれる祖父母は、いつまでも生きていてくれるはず!」というアリエナイ幻想を抱いていました。だから、それまで帰省するたび祖母と面会できていたのに、その一回一回が貴重な機会だという事を認識できていない愚か者でした。以前は元気だったのにどんどん容貌も変わり弱っていく姿を見ているのも辛く、これまでお世話になった事をちゃんと感謝できませんでした。

 

大きな喪失感で落ち込む私に、夫は思い通りの接し方をしてくれませんでした。

 

※夫は、祖父母が早くに亡くなり、一緒に過ごした記憶がありません。だから、おばあちゃん子だった私の気持ちは分からなくて仕方ないのでしょう。また、以前付き合っていた彼はおばあちゃん子だったので、「元彼なら、もっと共感してくれるはず!なんで私の悲しみが分からないの!」と無意識に比べ、夫を責めていました。しかし夫は夫なりに、寄り添ってくれたはず。それに、私の悲しみは「心底祖母を慕っていたから」というより、「私を絶対受け入れてくれる依存先がなくなっちゃった!怖い!」という自己中心的な理由から生じたものでした。

「相手が自分の思い通りに動かないと、いちいち批判したくなる」というのが、私の根強いパターンでした。(今思えば、めちゃくちゃ関わりたくない人間です。)

 

また、一緒に住み始めると、ご飯の時に「いただきます」を言わなかったり、テレビを見ながら食べたり、作ったご飯を「おいしくない」と言ったり、「信じられない!!」と思う出来事がしばしば起きました。そのたびに私は夫と揉め、夫は黙ってしまい、私は不完全燃焼で次への火種を残す・・という悪循環に陥っていました。

 

※これも、私の言動が先に原因を作っていたのだと思われます。「私は正しい!違う方法はオカシイ!」という思いがナチュラルにありすぎて、夫への言い方も完全に攻撃口調になっていました。そもそも、私が夫の欠点ばかり見て夫を見下している(←自分が上に立ちたい!という潜在意識のせい)ので、それが相手にも伝わり、夫も日々嫌な思いをしていたと思います。

夫④同棲まで

夫と初めて会ったのが2017年8月で、10回ほどお茶や食事を重ね、翌年の1月に交際を始めました。

 

4月に1泊旅行へ行った時、相手は私の事を本当に好きなんだなと感じ、「今後、この人よりも好きでいてくれる人(で、なおかつ私の求める条件に合う人)は現れないんじゃないか?」と思い、自分から「結婚する?」と言ってしまいました。

 

当時は「この機会を逃すと次はない!」と焦っていたし、「もし結婚しないなら、とっとと別れて次を探さねば・・」という思いもあり、先走ってしまったのが反省点です。その後しばらく、「やっぱり相手からプロポーズしてほしかった・・」という後悔が襲いました。

 

←これも、やはり自業自得だと思います。もし私が、彼を心から尊敬し、日頃の優しさに感謝し、「あなたと一緒にいられて楽しい!嬉しい!」と表現していれば、彼も自信を持ってプロポーズしてくれたはず。でも、当時の自分は「彼に押し切られて付き合いだしただけで、太っている所が気に入らない!高校時代ゲームばかりしていたせいで学歴も私より低いし、貯金もないし・・」と、欠点ばかりに注目し、見下していました。だから、彼も愛情表現はしつつ、決定的な事までは言えなかったのでしょう・・。

 

その後、母に結婚するつもりである事をLINEで伝えました。しかし、結婚を決めた頃に、彼が仕事でアメリカへ数年行く予定だという事が発覚し、仕事を辞めるのも海外生活も一人で育児するのも絶対イヤな私は動揺します。(彼は以前にも私に伝えていたようですが、正直彼への興味がなかった私は、全然聞いていませんでした。身から出た錆ですね・・)

 

すると、両親も結婚に反対し、(海外赴任のある人と結婚したら、いかに私が大変な苦労をするかという)手紙まで書いてよこしました。私も、「やっぱり別れて違う人を探そうか・・」と思いましたが、親に反対されるとなぜか意地になってしまうもの。父から「結婚する前に、一緒に暮らせるか同棲してみるように」と言われたので、ゴールデンウイークに物件を探して契約し、7月に引っ越しました。

 

夫③交際

マッチングアプリで夫と知り合い、LINEなどでメッセージをやり取りした後、2017年8月に初めて会いました。

 

背が高くニコニコしていて、服の趣味も自分好み、清潔感がある。今まで婚活でお茶してきた人達に比べ、全体的な印象に好感を抱き、その後も10回ほどお茶やランチに行きました。4歳下なのに、毎回お金を出してくれるところも(損得勘定にうるさい)私好みでした。

 

しかし、当時の私は仕事のストレス(←今思えば、完全に自分が原因)で体調が悪く、常に喉に違和感があり、喋るのもしんどい状態でした。そのため気分も沈みがちで、夫に対しても「マッチングアプリで知り合った相手だし、信用できない。年下だし、どうせ私の事は本気じゃないんだ!」と疑ってかかっていました。(だからこそ、重い女にならずに済み、夫としては好感を抱いたのかもしれませんが・・)

 

結婚したくて自分で選んだ方法(マッチングアプリ)なのに、相手を疑ってブレーキを踏んでいるから、せっかくのデートも楽しめませんでした。私の悪い癖(相手の欠点を見てしまうこと)も発動し、太っている彼を見下すような発言をしょっちゅうしていました。

 

それでも交際前の彼は怒らなかったので、私は「言っても大丈夫な人なんだな」と思い込んでしまいました。今思えば、夫も腹立たしく不快だったと思います。

 

出かける時は車で迎えに来てくれたり、優しくしてくれたりと良い所があるのに、そこに注目せず、心から感謝していませんでした。そういった「相手から奪う行為」を繰り返したからこそ、その後「自分も奪われた!」と感じる事が頻発してしまいました。

 

 

 

 

夫②婚活

当時、やっていた婚活は以下の通りです。

 

①お見合いパーティー

サイトで日時を予約して会場へ行き、そこで男女が約20人ずつ椅子に座り、順番に会話していくパターンです。女性無料!という日が結構あったので暇つぶしを兼ねて20回は行ったでしょうか・・。この形式だと、当日までどんな人が来るか分からないし、沢山の人と愛想笑いしながら話すのも疲れるし、時間の無駄だと思ったので、だんだん行かなくなりました。

 

②大手結婚相談所

勤務先の福利厚生で入会金無料だったので、1年だけ入会しました。最初に希望の条件を伝えてそれに合う男性をピックアップしてもらい、そこから毎月少しずつ連絡を取ったり実際に会ってみたりしました。トータルで10万くらいかかったと思います。数人と会いましたが、見た目や雰囲気、服装、話し方などが引っかかり、交際に至らないまま退会しました。

 

③マッチングサイト

ネットで見つけたマッチドットコムに登録し、何人かとお茶しました。その中の一人とは、今でもLINEをする友人になっているので、不思議なご縁だと思います。でも、やはり収穫はありませんでした。

 

マッチングアプリ

恋多き同僚の女性が教えてくれたペアーズを始めました。アプリの良さは、条件で男性を絞れるところです!(私は遠距離恋愛の末に別れた経験上、転勤がなく地元が近い人を絶対条件にしていました。転勤なし、という検索はできませんでしたが・・ぜひ、作って欲しいです)他の方法に比べ、かなり効率的だと思います。女性は完全無料なのも有難かったです。

 

ここで、ある人からいいね!が付いていました。体型が太めなのは好みでないけれど、笑顔の写真に好感を持ち、いいねありがとうを返しました(それにより、メッセージの交換ができるようになります)。

 

彼が、今の夫です。実生活では100%出会わなかったであろう相手なので、今となっては不思議なご縁を感じます。

 

※私はアプリで出会いましたが、素性が分からない相手と会うのは結構ストレスでした。やはり、大学時代の知り合いや勤務先関係、友人の紹介などが理想的な出会いだと思います。私は紹介してもらえるような人脈がなく、「性格が悪い(自分の事しか考えてない)とあらゆる面で大損だな・・」と、今更ながら後悔しています。

夫①10年近く付き合った人

私は大学入試のゴタゴタでやさぐれた&一人暮らしを始めてタガが外れた事により、大学時代はしょうもない恋愛ばかりしていました。

 

相手から好意を示され、自分にメリットがあると思った場合、他に交際相手がいても乗り換える事を何回かしていました。今思えば、恋愛とも言えない、ただの依存でした。

 

親や祖父母を見下していながら経済的・精神的に依存したので、その矛先を交際相手にもそのまま向け、過剰な期待を寄せ、何でも思い通りにしてほしい!と思っていました。

 

大学3年で研究室に配属され、ある先輩に指導してもらう事になりました。最初は何も思わなかったものの、話してみると好みや価値観が近く心地いい。それまで交際していた相手に比べ学歴や身長も高く、研究者としての将来性もある。お互いに惹かれ、(私は当時付き合っていた人と別れて)彼と交際する事になりました。

 

その後、私は大学と同じ地域で就職し、彼は関東地方の大学へ研究者として赴任。遠距離恋愛になりながらも、10年近く交際が続きました。しかし、30歳になった私はさすがに結婚が見えない事にしびれを切らし、結局は自然消滅してしまいました。

 

「私は安定した教員職で相手は任期付き研究員だから、私が退職して関東へ行くなどアリエナイ!相手がこっちの地域に戻ってくるべきだ!」という思いがありましたが、当時も今も、特定の(希望する地域の)大学で任期なしの研究者(教授か准教授にならないとダメ)として働くことは非常に難しい事です。

 

最初は「結婚しよう!」と盛り上がり、互いの実家にも行き来したものの、「祖父母や両親のいる地域を離れたくない!」という私の思いと彼の条件(自分の研究をやりたい!)がどうしても合いませんでした。

 

10年も交際していると、今でも思い出がよみがえるし、別れた直後は「10年も続けて、時間を無駄にした!」と恨んだこともありました。

 

それでも、今思えば、別れたのは正解だったと思います。彼のために!と恵まれた条件の仕事を辞めて結婚していれば、その後関東でしんどい事があるたび、彼のせいにして被害者ぶり続けていたはず。

 

10年近く「結婚できないから別れよう」とも「こっちへ来て結婚してほしい」とも言わなかった彼の優柔不断さを責めたくもなりますが、「相手は鏡」だとすると、やはり「決定的な事は言わず、流れに任せたい。都合の悪い事は先送りしよう。何とかなるだろう」という思考パターンが自分の中にあったからこそ、相手も不誠実な対応をしてきたのでしょう。

 

その後、30歳近くになり焦った私は、様々な方法で婚活を始めます。