産前産後うつ、モラハラから仲良し夫婦へ

喧嘩ばかりで「夫がおかしい!離婚したい!」と被害者意識満載だった私が、心理学を学んで現実が変わりました。同じように苦しむ方の参考になると嬉しいです

振り返り④高校時代

子供の頃から本を読むのが当たり前の環境で、天声人語を書き写したり、漢字の練習をしたりといった親の教育も受けてきたからか、勉強は得意でした。(体育と音楽は苦手ですが・・)

 進学校へ進み、進路を色々と考えました。デザインに興味があったので工業デザイナーになりたいと思いましたが、「デザイン系へ進んでも食えるのは一部だ」という父の意向があり、諦めました。父は医師になってほしかったようです(仕事に一生困らない、給与が男女平等、子どもを産んでも復職できる、自分の健康についても相談できる)が、小論文と面接が課される大学がほとんどのため、私は受ける気がありませんでした。臨床検査技師(安定してそう&人と話さなくて良さそう)、農学系(遺伝子に興味がある&就職先が多様である)、作業療法士(安定してそう&直接人の役に立てる)なども視野に入れつつ、入試ギリギリまで希望進路を決められませんでした。

 センター試験後、自己採点で9割取れていたため、急遽センター推薦で医学部を受ける事にしました。(前期は作業療法学科、後期は農学部に出願)しかし、それまでろくに医学部の面接対策もしてこず、コミュニケーション力にも自信がなかった私。面接当日、「なぜ、前期と後期は医学部に出願していないのですか?」と痛い所を突かれ、しどろもどろに(本音は、親の方針で浪人できなかったため。)結果は、もちろん不合格。不合格通知を受け取った日のショックを今でも覚えているくらいなので、人生最大の挫折だったかもしれません。

←今思えば、真面目に面接対策をしてこなかった自分に責任があります。高校の先生方を心から尊敬していなかった私は、(突然、態度を変えて)多くの先生方に面接練習をお願いする勇気がありませんでした。自分の薄っぺらい人間性がバレる事を恐れ、千載一遇のチャンスを逃しました。でも、それで良かったのかもしれません。私が医学部に受かりたい‼と思った動機は、「自分の能力を証明したい」「父に喜んでほしい」という邪なものがほとんどでした。もし、あの時医学部に受かっていたとしても、6年間で沢山の知識を身に付け、人の命を左右するという覚悟を持てたのかは疑問です。